「東京にある正岡子規のゆかりの地に行ってみたいけど、どこにあるかわからない!」
都内には正岡子規に関わりのあるスポットがたくさんありますが、今回はその内の特に関わりが深い場所6カ所を取り上げます。
正岡子規は、俳人としても有名ですが、あるスポーツの功績者としても有名でそのスポーツに関係するスポットもあります。
この記事では、正岡子規が愛した和菓子や生前過ごしていた場所を再現した資料館などを紹介するので、彼を深く知りたい場合は、参考に読んでみてください。
(トップ画像出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/541245?title=%E5%AD%90%E8%A6%8F%E5%BA%B5)
正岡子規の概要
正岡子規は、明治時代に活躍した俳人です。愛媛県松山市で誕生し、幼少期を松山で過ごした後、上京します。共立学校(現在の開成中学校・高等学校)に入学し、その後東京帝国大学(現在の東京大学)に進学。
このころから俳句を書き始め、夏目漱石や、河東碧梧桐、高浜虚子など小説家や俳人との交流が生まれました。東京帝国大学中退後、日本新聞社に入社し、俳句の欄を設けるなど俳句の普及に努めます。
また、日清戦争の従軍記者として中国に渡り、従軍していた森鴎外と知り合い、以後句会で交流を持ちます。帰国途中で体調を崩し、このあと繰り返し体調を崩し入退するように。
雑誌「ホトトギス」では俳句の選定など編集を務め、正岡子規の自宅では句会が何度も開かれました。しかし、肺結核にかかり、俳句を書きながら療養に専念しましたが、35歳の若さで亡くなります。
正岡子規で有名な俳句と言えば?
正岡子規は俳人として有名ですが、どんな俳句が有名でしょうか。「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は、聞いたことはありませんか。
現在では子規の代表的な俳句ですが、発表した当時はあまり評価されませんでした。しかし、法隆寺にこの俳句の石碑が建つと、全国にこの俳句が知れ渡ることになります。
正岡子規が法隆寺を訪問したとされる10月26日は、「柿の日」という記念日まで登録されています。ちなみに子規は、柿が大好物だったようで、柿が登場している俳句が多くありますよ。
日本でも有名なスポーツの名付け親?
正岡子規は、日本で人気のあるスポーツ「野球」にも縁が深い人物なんです。
この野球という言葉を作ったのが子規で、現在野球で当たり前のように使われている用語(例:投手、盗塁、捕手)は子規が翻訳しました。
野球の漢字の由来は、子規の小さいときの名前である升(のぼる)→野(の)・球(ぼーる)です。元々は、子規が雅号(ペンネームと同じようなものです)として野球を使っていました。
ちなみに子規の故郷である愛媛県松山市には、野球資料館「野球(のぼーる)ミュージアム」があります。ここからは、都内にある正岡子規のゆかりの地を紹介しますね。
都内の正岡子規 ゆかりの地①正岡子規記念球場
都内にある正岡子規のゆかりの地1つ目は、「正岡子規記念球場」です。
上野恩賜公園内にある球場です。正岡子規が上野公園で野球を楽しんでいたことや、野球の発展に功績があることから、2006年に元の名前から現在の「正岡子規記念球場」に変更されました。
球場の入口には、正岡子規が野球に貢献した内容が記された石碑があります。上野公園に行った際に見てはいかがでしょうか。
- 住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園5-20
- 電話番号:03-3371-5489
- 営業時間:9:00〜21:00(入館は閉館30分前まで)
- 利用料金:平日 1,200円/1時間、土日・祝 1,500円/1時間
- 公式サイト:https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/toubuk/ueno/index_top.html(上野公園のホームページです)
都内の正岡子規 ゆかりの地②子規庵
都内にある正岡子規のゆかりの地2つ目は、「子規庵」(しきあん)です。
正岡子規が亡くなるまで過ごした家を再現しています。関東大震災と老朽化で昭和時代に立て直されましたが、第二次世界大戦で焼失しました。東京大学の同級生である夏目漱石など多くの文豪が訪れた家でもあります。
子規が病気で横になりながら、俳句を詠んでいた場所が再現されているので、当時の風景を味わいたい方は見学に行ってみてはいかがでしょうか。
- 住所:〒110-0003 東京都台東区根岸2丁目5-11
- 電話番号:03-3876-8218
- 営業時間:月曜日定休、10:30~12:00(11:40までに受付)、13:00~16:00(15:40までに受付)
- 入場料金:500円、中学生以下は無料
- 公式サイト:https://www.shikian.or.jp/
都内の正岡子規 ゆかりの地③大龍寺
都内にある正岡子規のゆかりの地3つ目は、「大龍寺」(だいりゅうじ)です。
正岡子規のお墓があるお寺です。子規が弟子たちに静かなお寺に埋葬してほしいと話していたことから、大龍寺が選ばれました。子規のお墓の隣には、母親の八重(やえ)のお墓もありますよ。
お墓の近くには、子規が亡くなる前に詠んだ、糸瓜(へちま)の俳句の石碑が立っています。子規は肺結核にかかっており、結核に糸瓜が効くと言われていたことから家に植えてあったそうです。
- 住所:〒114-0014 東京都北区田端4丁目18-4
- 電話番号:03-3821-0014
- 営業時間:月曜日定休、9:30~16:00
- 入場料金:無料
- 公式サイト:無し
都内の正岡子規 ゆかりの地④根ぎし 笹乃雪
都内にある正岡子規のゆかりの地4つ目は、「根ぎし 笹乃雪」(ささのゆき)です。
江戸時代より320年以上続く豆富(腐)料理の名店で、笹乃雪の初代が絹ごし豆富を発明したとも伝わっています。正岡子規が、ヨーロッパに向かう叔父に笹乃雪の豆富を渡したことを詠んだ俳句で題材にしました。
店の入口には子規の俳句が彫られた石碑が建っているので、記念撮影にいかがでしょうか。
- 住所:〒110-0003 東京都台東区根岸2-15-10
- 電話番号:03-3873-1145
- 営業時間:毎週月曜日定休、11:30~8:00(ラストオーダー)
- 公式サイト:http://www.sasanoyuki.com/index.html
都内の正岡子規 ゆかりの地⑤羽二重團子
都内にある正岡子規のゆかりの地5つ目は、「羽二重團子」(はぶたえだんご)です。
1819年(江戸時代)に創業し、現在まで日暮里で営業している和菓子屋です。子規の俳句の題材にも使われており、子規以外にも夏目漱石や泉鏡花、田山花袋などの教科書に必ず掲載されている文豪にも愛されました。
こしあん団子と焼き団子が有名です。子規の名所を訪問したあとのお土産や休憩にいかがでしょうか。
- 住所:〒116-0014 東京都荒川区東日暮里5-54-3
- 電話番号:03-3891-2924
- 営業時間:年中無休 9:00〜17:00
- 公式サイト:http://habutae.jp/
都内の正岡子規 ゆかりの地⑥東京大学(本郷キャンパス)
都内にある正岡子規のゆかりの地6つ目は、「東京大学」(本郷キャンパス)です。
正岡子規は、東京大学の前身である東京帝国大学の文学部に入学し、中退しています。夏目漱石は東大入学前からの知り合いで、子規が亡くなるまで手紙のやり取りやお見舞いに訪れていた記録が残っています。
東大は予約なしで校内を見学できるので、子規が学んでいた校舎を見てみたい方は一度訪れてはいかがでしょうか。
- 住所:〒113-8654 東京都文京区本郷7丁目3-1
- 電話番号:03-3812-2111
- 営業時間:祝日閉鎖、7:00~18:00(見学可能時間)
- 入場料金:無料
- 公式サイト:https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/index.html
都内で正岡子規のゆかりの地をチェックしよう まとめ
今回は、都内にある正岡子規のゆかりの地を紹介しました。最後に紹介した場所をまとめますね。
- 正岡子規記念球場
- 子規庵
- 大龍寺
- 根ぎし 笹乃雪
- 羽二重團子
- 東京大学(本郷キャンパス)
個人的に、羽二重団子は知っていたのですが、正岡子規が愛した和菓子とは知らなかったので今度深く味わいたいですね。また、笹乃雪も絹ごし豆富を発明したお店と聞くと、歴史ある味が気になります。
正岡子規は故郷の松山も有名ですが、都内でも縁のある場所が多くあるので、気になる場所があれば訪れてはいかがでしょうか。