この記事は「広瀬武夫のゆかりの地を知りたい」方に向けて書かれています。
広瀬武夫は、日露戦争における旅順閉塞作戦で悲運の最期を遂げた人物です。旅順閉塞作戦時に部下を探した行動によって「軍神」となったエピソードが印象的です。
この記事では、広瀬武夫の生涯に沿って時系列に「広瀬武夫のゆかりの地でのエピソード」も合わせて紹介しています。
記事を参考に、気になるゆかりの地があればぜひ足を運んで、場の雰囲気を味わってみてください。
紹介する広瀬武夫ゆかりの地8か所を時系列順に紹介
広瀬武夫のゆかりの地を、広瀬武夫の生涯の出来事に沿って時系列に8か所紹介します。
- 広瀬武夫生誕地(1868年)
- 煥章学校(1877年)
- 攻玉社(188年)
- 海軍兵学校(1885年)
- 講道館(1887年)
- 清水港(1890年)
- 旅順港(1904年)
- 広瀬中佐の墓(1904年)
大分県竹田市で生を受けた広瀬武夫が旅順において37歳で非業の最後を遂げるまで、その生涯に沿ってゆかりの地を紹介していきます。
気になるスポットがありましたら、ぜひとも足を運んで広瀬武夫が気づいていた頃に思いを馳せてみてください。
広瀬武夫ゆかりの地1:広瀬武夫の生誕地
広瀬武夫は1868年7月16日(慶応4年)、豊後国竹田で岡藩士だった広瀬重武(友之允)の次男として生を受けました。
広瀬武夫の生誕地であった生家は西南戦争により焼失してしまっため、生家の跡地には「海軍中佐広瀬武夫生誕之地」と刻まれた石碑が建っているだけとなっています。
広瀬武夫の生誕地周囲は民家が点在し、草木が生い茂る自然多いのどかな場所です。
石碑は道沿いに建っていますが、周囲の木々に紛れて見落としやすくなっているので、見学の際は注意が必要です。
- 住所:大分県竹田市大字竹田1259
- 電話番号:なし
- 営業時間:常時
- 入場料金:無料
- 公式サイト:なし
広瀬武夫ゆかりの地2:煥章学校
広瀬武夫の生家が西南戦争で焼失してしまったことから、1877年に広瀬武夫が父・重武と共に移り住んだ先が岐阜県の飛騨高山です。
飛騨高山では広瀬武夫は煥章(かんしょう)学校に編入し1882年に卒業となりましたが、そのまま煥章学校の代用教員として採用されました。
煥章学校は1873年(明治3年)に勝久寺を仮校舎として開校、1876年(明治6年)にフランスの建築様式を取り入れた近代的な新校舎が建てられ、広瀬武夫は新しい校舎で学びました。
現在は広瀬武夫が学んだ煥章学校の校舎はなく、煥章学校の跡地に建てられた高山市立図書館の煥章館敷地内に煥章学校跡地の石碑が立つのみとなっています。
- 住所:岐阜県高山市馬場町2-115
- 電話番号:057-732-3096
- 営業時間:9:30~21:30
- 入場料金:無料
- 公式サイト:https://www.library.takayama.gifu.jp/
広瀬武夫ゆかりの地3:攻玉社
煥章学校での数か月の代用教員を辞め、1883年に広瀬武夫が海軍の道に進むため、学びに入ったのが攻玉社です。
攻玉社は戦前、海軍兵学校に入るための予備校として位置付けられており、後に海軍兵学校に入ることとなる広瀬武夫も攻玉社で海軍に関する学びを修めました。
攻玉社は、1863年に明治の教育者・近藤真琴が蘭学塾を開いたのが歴史の始まりで、現在も攻玉社は東京都品川区の西五反田にあり、150年以上も続く伝統校となっています。
広瀬武夫がいた攻玉社は芝新銭座(現:浜松町)の慶應義塾跡にあり、1923年の関東大震災で倒壊したため現在地に場所が移っていますが、開学当時の理念を引き継いだ運営がなされています。
- 住所:東京都品川区西五反田5-14-2
- 電話番号:03-3493-0331
- 営業時間:見学等は要お問い合わせ
- 入場料金:無料(見学等は要お問い合わせ)
- 公式サイト:https://kogyokusha.ed.jp/
広瀬武夫ゆかりの地4:海軍兵学校
広瀬武夫は1885年(明治18年)、海軍の士官になるため海軍兵学校に入学し、士官となるための心得や学問を身に付けました。
海軍兵学校は大日本帝国海軍の士官を要請する大学校で、開校された1876年(明治9年)より敗戦となった1945年(昭和20年)まで存在していた、旧日本帝国海軍の士官を養成する学校でした。
現在でも海上自衛隊の広報の一環で、旧海軍兵学校のレンガ造りの建屋内をガイド付きで見学が行われ、毎年約7万人もの人が旧海軍兵学校跡地の見学に訪れています。
旧海軍兵学校跡の見学は平日も土日祝日も行っており、19名以下での見学は事前予約も必要ありません。(身分証明の提示も必要ありません)
- 住所:広島県江田島市江田島町国有無番地
- 電話番号:0823-42-1211(内線:2016)
- 見学開始時間:(平日)10:30、13:00、15:00(土日祝日)10:30、11:00、13:00、15:00(所要時間1時間半程度)
- 入場料金:見学無料
- 公式サイト:https://www.mod.go.jp/msdf/onemss/kengaku/
広瀬武夫ゆかりの地5:講道館
講道館は、広瀬武夫が1887年(明治20年)より本格的に入門し柔道を極めた道場で、今も歴史を引き継ぎ運営されているので入門することもできます。
広瀬武夫のいた頃の講道館は、東京の麹町区上二番町(現・千代田区)にあり、広瀬武夫は攻玉社などで学問を修める一方、体を鍛えるべく講道館に足を運んでいました。
1890年に行われた講道館の大試合において五人抜きを達成し、2段の段位が与えられるなど優秀な成績を収め、艦隊の勤務となってからも講道館に顔を出し鍛錬を行うことを欠かしませんでした。
1899年には4段の段位を取得しまし、1904年に殉職してから広瀬武夫の名誉を称えられ、6段の段位が与えられています。
- 住所:東京都文京区春日1-16-30
- 電話番号:03-3811-7152
- 営業時間:(見学)16:00〜20:00(土曜日は19:30まで)
- 入場料金:見学無料
- 公式サイト:http://kodokanjudoinstitute.org/
広瀬武夫ゆかりの地6:清水港
清水港は当時広瀬武夫と駿州(今の静岡県)の任侠・清水次郎長とのエピソードが残る場所です。
1889年、広瀬武夫が甲板士官として測量船に乗船していた頃、駿州(今の静岡県)の清水港に立ち寄っていました。
広瀬武夫を含む海軍の軍人が清水次郎長の元を訪れた際、「男らしい男が一人もいない」と清水次郎長に言われたことで、広瀬武夫は自分のみぞおちを殴り続け、清水次郎長を感心させたというエピソードが残っています。
現在の清水港は国際拠点の港湾となっており、外来貨物の受け入れを行う港として開かれています。
- 住所:静岡県静岡市清水区日の出町
- 電話番号:054-353-2201(港湾管理局)
- 営業時間:常時
- 入場料金:無料
- 公式サイト:なし
広瀬武夫ゆかりの地7:旅順港
1904年に中国の遼寧省大連市にある旅順港で「旅順港閉塞作戦」が行われた際、広瀬武夫が被弾し37歳で最後の時を迎える場所となりました。
旅順閉塞作戦とは、1904年に大日本帝国が行った、ロシア帝国艦隊の海上封鎖作戦のことです。船を自沈して封鎖
日露戦争において、ロシアの太平洋艦隊が停泊していた旅順港を船を自沈することで封鎖し、ロシアの海軍の勢力を抑え込み優位性を高めるのが目的でした。
ロシア軍の魚雷で被弾した福井丸を爆破するため、船内に入った部下の杉野孫七が戻らないことから、広瀬武夫は福井丸の船内に杉野を探しに行きました。
しかし、福井丸の船内に杉野を探しに行くも見つからなかったため、脱出用のボートに乗って福井丸から離脱しました。ボートに乗っている際にロシア軍の砲弾を受け帰らぬ人となりました。
広瀬武夫がこの世を去ったことを知り、かつて親交の深かったロシア人女性のアリアズナは悲しんで喪に伏したと言われています。
- 住所:中華人民共和国遼寧省大連市
- 電話番号:なし
- 営業時間:常時
- 入場料金:無料
- 公式サイト:なし
広瀬武夫ゆかりの地8:広瀬武夫の墓所
1904年に中国の旅順港にて不運の死を遂げた広瀬武夫の墓所は、東京の青山霊園にあります。
また、広瀬武夫の誕生地より徒歩で約5分ほどの所にある「竹田市総合運動公園」沿いの一角にも、広瀬武夫の墓があります。
竹田市にある広瀬武夫の墓所への入口は、民家のすぐ横の通路で、駐車場はありません。
武田氏の墓所は広瀬家の墓となっており、久住連山を見渡せる高台にあります。
- 住所:東京都港区南青山2-32-2
- 電話番号:03-3401-3652(管理)
- 営業時間:常時
- 入場料金:無料
- 公式サイト:http://www.tokyo-park.or.jp/reien/park/
- 住所:大分県武田市字武田1280付近(入口)
- 電話番号:なし
- 営業時間:常時
- 入場料金:無料
- 公式サイト:なし
まとめ
この記事では、広瀬武夫の生涯に沿って時系列にゆかりの地を8か所紹介しました。
- 広瀬武夫生誕地(1868年)
- 煥章学校(1877年)
- 攻玉社(188年)
- 海軍兵学校(1885年)
- 講道館(1887年)
- 清水港(1890年)
- 旅順港(1904年)
- 広瀬武夫の墓(1904年)
旅順港だけ日本国外の中国になりますが、部下を探しに船内を探し回って戻った所を悲運にも砲弾を受け、帰らぬ人となった広瀬武夫の部下思いだったことが伝わるエピソードの場所です。
広瀬武夫のゆかりの地に足を運び、広瀬武夫がどのような思いでその場にいたのかに思いを馳せてみるのも良いですね。