日露戦争の「日本海海戦」を完全勝利に導いた名参謀、秋山真之。今回は全国にある彼のゆかりの地を7つ、時系列順に紹介します。
彼がどのような土地で過ごし、何をきっかけに名参謀ぶりに拍車がかかったのか。この記事を読めば、ゆかりの地だけでなく、彼の人生について知ることもできますよ。
また、秋山真之は司馬遼太郎作の『坂の上の雲』の主人公の1人でもあります。ドラマ化もされたので、名前だけは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
秋山真之について、少しでも興味がある方はぜひこの記事を最後まで読んでくださいね!(トップ画像出典:筆者撮影)
秋山真之ってどんな人?
司馬遼太郎作の『坂の上の雲』の主人公として脚光を浴びた、秋山真之(あきやまさねゆき)。教科書では語られることのない彼ですが、日露戦争の日本海海戦を完全勝利に導いた名参謀です。
同郷である正岡子規とは幼少期からの友人であり、彼とともに和歌を学んだことから、「秋山文学」と称されるほどの名文家でした。
そんな彼は、あの有名な「Z旗」の文案者でもあるんですよ。次の章から名参謀と称えられ、名文家としても有名な秋山真之のゆかりの地を紹介していきますね。
「Z旗」とは日露戦争の日本海戦が開始される際に、旗艦(艦隊の司令長官が乗っている船)である三笠に掲げられた旗です。
「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」という意味が込められています。
ゆかりの地①秋山家兄弟生誕地
秋山真之は1868年に、現在の愛媛県松山市に生まれます。彼が生まれた土地には現在、当時の写真を検証して建てられた「秋山家兄弟生誕地」という名の建物が建っています。
施設内には、秋山兄弟の資料が展示されているほか、庭に兄弟の銅像も飾ってありますよ。兄・好古(よしふる)は旧陸軍所属で、「騎兵の父」と呼ばれる軍人です。
秋山家が困窮していたことからお寺に出されるはずだった真之を実家で育てるよう諭し、学生時代には学費や生活費を工面していた真之の恩人でもあります。
兄弟愛溢れる2人の銅像は向かい合わせで建てられているので、ぜひ訪れてみてくださいね。
- 住所:愛媛県松山市歩行町2-3-6
- 電話番号:089-943-2747
- 営業時間:10:00〜17:00(月曜・祝日の翌日は定休日)
- 入場料金:大人:300円、高校生以下:無料
- 公式サイト:秋山家兄弟生誕地
ゆかりの地②秋山真之が通っていた東京の「旧海軍兵学校」
同郷の友人である正岡子規とともに現在の東京大学に通っていた真之でしたが、兄に学費や生活費を工面してもらうことに申し訳なさを感じ、旧海軍兵学校を受験します。
見事合格した真之は、1886年に旧海軍兵学校に入校することになりました。入校当時は東京の築地にあり、現在の国立ガンセンター付近です。
建物は残されていませんが、駐車場入り口のゲート横に石碑があるので、気になる方はぜひ訪れてみてくださいね。
石碑の裏面には、海軍兵学校寮や海軍兵学校の沿革が記されていますよ。
- 住所:東京都中央区築地
- 電話番号:なし
- 営業時間:なし
- 入場料金:なし
- 公式サイト:なし
ゆかりの地③広島の「旧海軍兵学校」
1888年になると、旧海軍兵学校は築地から広島県の江田島に移ります。真之も江田島に移り、ここで学んでいました。
現在は、海上自衛隊の施設として使用されています。施設内には、日露戦争をはじめとする旧海軍の歴史資料が展示されていますよ。
真之に関係する展示品は基本的にないですが、1階の卒業生集合写真の中に彼が写っています。見つけるのは中々大変ですが、せっかく来たのなら探してみるのも楽しいですね。
真之に思いを馳せながら見学してみてはいかがでしょうか。本場の「海軍カレー」を食べることもできますよ。
- 住所:広島県江田島市江田島町国有無番地
- 電話番号:0823-42-1211
- 営業時間:見学は決められた時間の回のみ(平日と休日で異なる)
- 入場料金:無料
- 公式サイト:海上自衛隊
ゆかりの地④秋山真之が戦の研究に火がついた地「宮島」
旧海軍兵学校の卒業が近づいてきたころ、真之は宮島を訪れています。毛利元就と陶晴賢の有名な「厳島の戦い」の古戦場でもある宮島で、「合戦物語は面白いものだ」と思ったのだとか。
宮島を歩き回りながら両軍の戦いぶりを分析した真之は、この時を境に戦の研究に熱中していくようになります。この出来事がきっかけで、日本海海戦の奇抜な作戦を思いついたのかと思うと感慨深いですね。
真之は戦場の模様を頭に描きながら宮島を歩き回っていたので、厳島の戦いについて勉強し、真之と同じように戦について考えながら歩いてみるのも面白いですよ。
- 住所:広島県廿日市市宮島町
- 電話番号:0829-44-2011
- 入場料金:見学する場所により異なる
- 公式サイト:宮島
ゆかりの地⑤故郷の友・正岡子規をたずねた地「子規庵」
前述した通り、真之と子規は同郷の友人です。子規が晩年過ごしていた「子規庵」には、真之も訪れています。
留学から帰ってきたあと、真之は子規庵で留学当時の出来事を話していたそうですよ。
そして、月日が流れ。子規が亡くなったことを知った真之は再度、子規庵を訪れます。しかし、子規を入れた柩が建物から運ばれている様子を見て、彼は一礼だけして引き返してしまったのです。
真之にとって、子規との思い出が残る子規庵。彼らの友情を思うと少し胸が痛む場所ですが、足を運んでみてはいかがでしょうか。
- 住所:東京都台東区根岸2-5-11
- 電話番号:03-3876-8216
- 営業時間:10:30〜12:00、13:00〜16:00
- 入場料金:大人:500円、中学生以下:無料
- 公式サイト:子規庵
ゆかりの地⑥秋山真之が乗って行った!三笠公園
三笠公園は日本海海戦時の旗艦である「三笠」が飾られている、海に面した公園です。
1904年に、海戦の火蓋が切られた日露戦争。真之は連合艦隊司令長官の東郷平八郎とともに、参謀として「三笠」に乗船しました。
日本海海戦の作戦はすべてが真之の頭から出てきたものであり、彼は三笠に乗りながら海戦の行く末を見守っていました。真之のゆかりの地を巡る際に、三笠公園は欠かせません。
かの有名な「敵前回頭」や「丁字戦法」をやり遂げた船である三笠を一目見るために、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。船内に入ることができるので、甲板に登って海を眺めるのも良いですね。
- 住所:神奈川県横須賀市稲岡町82
- 電話番号:046-824-6291
- 営業時間:4月〜10月 8:00〜21:00、11月〜3月 9:00〜20:00
- 入場料金:公園内無料(三笠に入る際には入場料金あり)
- 公式サイト:三笠公園
ゆかりの地⑦秋山真之・終焉の地「山下亀三郎別邸」
1918年、真之は慢性腹膜炎のため亡くなりました。その地は、知人である山下亀三郎の別邸です。
現在は「三の丸小学校」が建っているので、関係者以外立ち入ることができないのですが、ぜひ近くまで立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
また、真之は相模灘の黎明(明け方)が好きだったと言われています。
山下亀三郎別邸の上段にたたずむ「清閑亭」では、今でも彼が見た風景と同じものを眺めることができるので、あわせて行かれてみてはいかがでしょうか。
清閑亭は、裸足ですと建物内に入ることができないので注意しましょう。見学する際は、必ず靴下を持っていくようにしてくださいね。
- 住所:神奈川県小田原市南町1-4-32
- 電話番号:なし
- 営業時間:なし
- 入場料金:なし
- 公式サイト:なし
ゆかりの地・番外編「坂上雲ミュージアム」
坂の上の雲ミュージアムは、真之を主役にした時代小説である『坂の上の雲』のまちづくりの中核施設として建てられました。
真之に関する資料・坂の上の雲の小説や明治に関わる書籍・明治日本の特徴をとらえた資料など、坂の上の雲に関わる展示物を見ることができます。
真之が訪れた場所ではないですが、彼の故郷にある「坂の上の雲ミュージアム」を訪れて、より理解を深めてみるのがおすすめですよ。
- 住所:愛媛県松山市一番町3-20
- 電話番号:089-915-2600
- 営業時間:9:00〜18:30(月曜休み)
- 入場料金:大人:400円、高校生・65歳以上:200円
- 公式サイト:坂の上の雲ミュージアム
秋山真之・ゆかりの地まとめ
秋山真之のゆかりの地を7つ、彼に関する資料が展示されている施設を1つ紹介しました。
秋山真之は同郷の友である正岡子規とともに文学の道を志していましたが、学費や生活費を工面していた兄・好古を気遣い海軍へと進んだ人物です。
今回は海軍時代のゆかりの地を中心に紹介しましたが、彼は東京大学にも通っていた(中退)過去があるので、より多くのゆかりの地を回りたいなら東京大学に立ち寄ってみるのもおすすめですよ。
この記事を参考にして「日本海海戦を”完全勝利”に導いた名参謀・秋山真之」のゆかりの地を巡ってみてくださいね。
司馬遼太郎作の「坂の上の雲」は、秋山真之と兄・好古、正岡子規を主人公にした時代小説です。秋山真之について知りたい方は、小説を読んでみてはいかがでしょうか?
また、ドラマ化もされているので気になる方は、ぜひ見てみてくださいね。