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【日本近代経済の父】渋沢栄一ってどんな人?ゆかりの地4つを紹介!

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今回の記事では、渋沢栄一ゆかりの地を4つ厳選して紹介していきます。渋沢栄一は、2024年から日本の1万円札の顔となる人物として有名なんです。

今回はそんな渋沢栄一のゆかりの地を紹介していきますが、合わせて、どんな人物どのような業績を残したのか、そういう背景を知るとゆかりの地を訪れた時に、より楽しめるはずです。

きっと「もっと知りたい!」「こんなにすごい人なんだ!」と思えるはずのなので、ぜひ最後まで読んでみてください。

「渋沢栄一のゆかりの地」を紹介する前に

日本の新しい1万円札になるということで、徐々に世間でも知られるようになってきた渋沢栄一ですが、学校における歴史の教科書でもあまり登場しません。

正直、「渋沢栄一って誰だかわからない」という人が多いのではないしょうか?

次の見出しからは、ゆかりの地を紹介していく前に、渋沢栄一がどんな人物なのか、どのような経歴で功績を残した人物なのかを紹介していきます。

渋沢栄一の背景を知っておくことで、よりゆかりの地に行きたくなるはずです!

渋沢栄一の主な略歴

渋沢栄一は享年91年と、長きにわたり経済界に貢献した人物ですが、最初にその彼の主な略歴を紹介していきますね。

  • 1840年・・・埼玉県深谷市の藍玉の売買する農家で生まれる。
  • 1853年・・・藍の買い付けを一人で行うようになり、商才を発揮し始める。
  • 1861年・・・江戸に出て勤皇志士と交流し倒幕意識が高くなる。
  • 1863年・・・倒幕計画の一環として横浜焼き討ち計画を立てる(後に中止となる)。
  • 1864年・・・一橋慶喜(後の第15代将軍徳川慶喜)に仕える
  • 1866年・・・慶喜が将軍となり、幕臣となる。
  • 1867年・・・パリ万博の使節団となる。
  • 1869年・・・日本初の株式会社を設立する。大蔵省に入省する。
  • 1873年・・・大蔵省を退省する。
  • 1874年〜1916年・・・500以上の企業の設立に携わる実業家として活躍する。
  • 1931年・・・直腸がんで死去。享年91。

農家で生まれた渋沢栄一。才能を発揮して幕府に仕え、パリ万博に参加します。それをきっかけに西洋の様々なことを吸収し、帰国後、多くの株式会社の設立に貢献します。

現在では、「日本近代経済の父」「資本主義の父」と称されるほど経済界に大きく貢献した偉人の一人です。

渋沢栄一は元々倒幕の志士だった

渋沢栄一は、江戸末期(1840年)に埼玉県深谷市の農家の家で誕生します。13歳の頃に、藍の買い付けを一人で行うようになりました。

親譲りの藍の目利きで、安く上質な藍を若くして仕入れるほど、商才に優れていました。勉強も好きで「論語」を好んで読んでいたと言われています。

しかし、農家の子供ということだけで、差別を受ける日本社会(当時の幕府)に不満を抱くようになりました。

そして、1861年に21歳で江戸に出て勤皇志士と交流していく中で、倒幕意識を持つようになっていくのです。

【渋沢栄一の人生のターニングポイント】パリ万博に参加した

当初は倒幕側の渋沢栄一(24歳)でしたが、能力を買われて後の将軍となる徳川慶喜の家臣になります。そして、27歳でパリ万博(日本が最初に参加した万博)の使節団として参加しました。

その時に、渋沢栄一がヨーロッパを回遊して、経済に関する多くのことを学んだと言われています。パリ万博から戻ってきた渋沢栄一は、当時の日本にはどこにもなかった、株式会社を設立しました。

合わせて資本主義の考えを日本に導入。そのような手腕を買われ、当時の政治家である大隈重信の説得により、大蔵省に入ります。

そこで、郵便制度新貨幣の整備(両から円へ)など日本の近代化に携わりました。4年間大蔵省で働いた渋沢栄一でしたが、大隈重信との意見の対立から、政治の世界から離れていきました。

【渋沢栄一の偉大な功績】500以上の企業の設立に関わる

渋沢栄一の偉大な功績はなんと言っても多くの株式会社を設立したことにあります。大蔵省をやめた33歳から実業家をやめた76歳の間で、500社以上の起業に関わりました。

現在では、誰もが知っている企業ばかりです。下記に主な設立に携わった企業を紹介してあります。

渋沢栄一が設立に携わった主な企業
  • みずほ銀行
  • 王子製紙
  • 東京ガス
  • KDDI
  • 東京海上日動
  • 東京証券取引所
  • 帝国ホテル
  • キリンビール
  • 一橋大学
  • 東京経済大学
  • 日本赤十字社
  • 聖路加病院

渋沢栄一は、国家のインフラとなるような大企業をたくさん設立したとても偉大な人物なんです。

また、一橋大学を含む教育機関や、日本赤十字社や聖路加病院などの社会貢献事業の設立にも携わっています。

渋沢栄一ゆかりの地①渋沢資料館

ここからは、渋沢栄一ゆかりの地を4つ紹介していきますね。まず最初に紹介する渋沢栄一ゆかりの地は、東京都にある「渋沢資料館」です。

渋沢栄一の活動を広く紹介する博物館として、1982年に開館しました。かつて渋沢栄一が住んでいた旧渋沢邸跡地に建っています。

渋沢栄一の生涯と業績に関する資料が展示されており、イベントも随時行われています。

「渋沢資料館」の詳細情報
  • 住所:東京都北区西ヶ原2-16-1
  • アクセス:JR京浜東北線王子駅南口下車/徒歩約5分
  • 電話番号:03-3910-0005
  • 営業時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
  • 定休日:月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)、年末年始(12月28日~1月4日)
  • 料金:一般300円、小・中学生・高校生100円
  • 公式サイト:https://www.shibusawa.or.jp/index.html

渋沢栄一ゆかりの地②「中の家」

2つ目に紹介する渋沢栄一ゆかりの地は、埼玉県にある旧渋沢邸の「中の家」です。

渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって1895年に建てられました。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に頻繁に立ち寄り、寝泊まりした場所と言われています。

渋沢家の住宅として使われていましたが、1983年から学校施設として活用され、多くの外国人留学生が学びました。

「中の家」の詳細情報
  • 住所:埼玉県深谷市血洗島 247-1
  • アクセス:JR深谷駅からタクシーで約20分
  • 電話番号:048-577-4501(深谷市教育委員会 文化振興課)
  • 営業時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
  • 定休日:年末年始 (12月29日~1月3日)
  • 料金:無料
  • 関連サイト:http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/index.html

渋沢栄一ゆかりの地③誠之堂

3つ目に紹介する渋沢栄一ゆかりの地は、埼玉県にある「誠之堂」です。誠之堂は第一銀行初代頭取だった渋沢栄一の77歳の喜寿を祝って建てられました。

なお、誠之堂(せいしどう)」と隣接してある「清風亭(せいふうてい)」は、第一銀行2代目頭取だった佐々木勇之介の古希を祝って建てられました。

誠之堂国の重要文化財清風亭埼玉県指定有形文化財に指定されています。ガイド付きで外観と内部を見学することができますよ。

「誠之堂」の詳細情報
  • 住所:埼玉県深谷市起会110-1
  • アクセス:JR深谷駅からタクシーで約15分
  • 電話番号:048-577-4501(深谷市教育委員会 文化振興課)
  • 営業時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
  • 定休日:年末年始 (12月29日~1月3日)
  • 料金:無料
  • 関連サイト:http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/index.html

渋沢栄一ゆかりの地④渋沢栄一記念館

4つ目に紹介する渋沢栄一ゆかりの地は、埼玉県にある「渋沢栄一記念館」です。渋沢栄一の遺墨や写真など資料のほか、本人の肉声(講演会を録音したもの)を聞くことができる展示があります。

また、資料解説員が常駐していて、質問すると色々教えてくれますよ。より深く知りたい方はお願いしてみましょう。

「渋沢栄一記念館」の詳細情報

渋沢栄一のゆかりの地まとめ

今回の記事では、渋沢栄一がどんな人物だったのかを踏まえて、ゆかりの地を4つ紹介しました。

2024年に日本の新一万円札の顔となる渋沢栄一ですが、経済界にとって偉大な業績を残した人なのにどうして、歴史の教科書でも大体的に取り扱われず、お札にもならなかったのか不思議ですよね。

ちなみに、お札の偽造防止のため、肖像には髭のある人物を使っていたことから、髭のない渋沢栄一を採用することは難しかったからだそうですよ。

今回の記事を通して、少しでも渋沢栄一に興味を持ってもらえたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

ABOUT ME
ひろき
2019年10月より、ライター業を始めました。映画系・金融系・恋愛系など幅広いジャンルで執筆しています。Google検索で1位をとった実績あり。ブログリライトや見出し構成もしています。3つのブログを運営し、収益化に成功しています。