日本各地には、森鴎外・川端康成・夏目漱石などの文豪たちに愛された旅館が、いくつも存在しています。
今日は、その中から厳選した『9つの旅館』を紹介していきますね。
あの作品のモデルになっていたり、あの小説が執筆されたりした旅館も紹介しているので、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてください。
(トップ画像出典:https://www.pakutaso.com/20111032277post-703.html)
文豪「森鴎外」が愛した旅館 緑霞山宿 藤井荘
緑霞山宿(りょっかさんしゅく)藤井荘は、三方を山に囲まれた渓谷の湯宿です。明治23年(1890年)、藤井荘に1週間滞在した森鴎外は紀行文『みちの記』を新聞にて連載していました。
藤井荘は全部で21室あり、そのすべての客室から拝むことができる圧倒的な渓谷美は、訪れる旅人を魅了し続けています。中でも木立に迫り出したように佇む客室「月見縁台」からの眺めは圧巻ですよ。
森鴎外をはじめとする、様々な文人が褒め称えてきた景観を贅沢にも一望することが出来ます。
夜ご飯には山川の季節の幸を自身で揚げる「ぽんぽん鍋」をいただきながら、溢れんばかりのたくさんの星に包まれ、日常を忘れられる癒やしの時間を満喫しましょう。
文豪「川端康成」が愛した旅館 湯本館
湯本館は1872年創業の老舗旅館です。川端康成が、のちに代表作となる『伊豆の踊子』を執筆したのがこの湯本館です。
玄関をくぐり中に入ると、昔のままの佇まいが残っており懐かしい温もりに包まれます。目の前には飴色の階段があり、若き日の川端はここに座って踊子が玄関の板敷で踊るのをずっと眺めていたそうですよ。
しばらく部屋でのんびりしたら渓流沿いにある露天風呂へ行ってみましょう。湯につかると迫りくる天城山の緑と脇を流れる狩野川がとても心地良いです。
部屋からは湯ヶ島の豊かな自然と静寂を体感できるので、康成が執筆した当時に想いを馳せながら『伊豆の踊子』のページをめくれば、彼がこの地に魅せられた理由がわかるかも知れませんよ。
文豪「夏目漱石」が愛した旅館 湯回廊 菊屋
湯回廊 菊屋は、約380年前に創業したと言われる老舗旅館です。明治43年(1910年)に夏目漱石が胃潰瘍の療養のため訪れており、最初の夜を過ごした「梅の間」は現在「漱石の間」として親しまれていますよ。
4世紀近くの時を刻んだ梁や柱・湯処をつなぐ回廊などが、昔の古きよき面影を残しつづけています。
その古きよき面影が、明治・大正・昭和・平成・令和と、時代ごとに表情の違う建築様式と見事に解け合っていますよ。
回廊を歩いて庭園を愛でながら湯巡りへいくと味わえる、庭の絶景や月の輝きを眺めながらの贅沢な湯浴みで、あなたもぜひ癒されてみましょう。
文豪「宮沢賢治」が愛した旅館 大沢温泉 湯治屋
古くから湯治場として親しまれてきた大沢温泉。大沢温泉には「山水閣」「菊水館」「湯治屋」という3つの湯宿が共存しており、「湯治屋」は宮沢賢治ゆかりの宿とも言われています。
幼少時から度々訪れ、学生時代に温泉の水車を止めてしまったり、教師時代には生徒を引き連れ湯浴みに来たり、賢治にとって馴染みの深い温泉といえますね。
豊沢川に面した混浴の露天風呂「大沢の湯」は、渓流を愛でながら木々の自然に包まれる開放感が格別で、ゆっくりと体を温める湯は長湯に向いています。
じっくりと湯に浸かりながら、文豪たちをも魅了した開放感を堪能してみましょう。自炊部なので自分で食事を作り待合室で寛ぐと、湯もさることながら素朴で温かな交流の場に身も心も解きほぐされますよ。
文豪「正岡子規」が愛した旅館 鷹泉閣 岩松旅館
作並温泉の元湯として200余年の歴史をもつ旅館が鷹泉閣 岩松旅館です。仙台の奥座敷として、古くから文化人に愛され続け、あの正岡子規からも愛されました。
芭蕉の足跡を辿り旅に出た子規は作並温泉に泊まり、階段を下った先に広がる露天に感動して「夏山を廊下づたひの温泉(いでゆ)かな」という句を詠みました。この様子は『はて知らずの記』にまとめられています。
天然岩風呂へとつながる木造88段の階段を降りてゆくと、美しい広瀬川が目の前に広がっておりまさに絶景ですよ。子規が思わず句にしたためたのも納得できます。
天然岩風呂は自噴掛け流しの混浴であり、泉質の異なる4つの湯船(ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉・低張性弱アルカリ性)で湯浴みができるので、ぜひ堪能してくださいね。
文豪「与謝野晶子」が愛した旅館 上林温泉 塵表閣本店
明治34年(1901年)に長野県上林温泉が開湯して以来、 源泉の宿としての伝統を守り続ける老舗旅館が上林温泉 塵表閣本店です。与謝野晶子など数多くの文豪の心をつかんだと言われています。
小さな老舗旅館に据えられた六部屋の客室は、 各時代の日本の風情を今に伝えています。布団、炬燵掛け、湯衣、小物に至るまで粋で細かなしつらえが配された客室は、 訪れた客人をひと時の静寂へと誘いますよ。
お部屋で一休みした後は温泉へ行きましょう。 地獄谷の源泉100%掛け流し・非加熱・非加水のこだわりの温泉が、 ゆったりと仙境に身をおくような安らぎをもたらします。
女将手づくりの食事も絶品で、 信州のりんごで育った100%信州産の牛肉や、 地元で作られた特製みそ、 そして創業200年の地元酒造で作られた日本酒を組み合わせた創作料理を楽しんでくださいね。
文豪「太宰治」が愛した旅館 旅館 たにがわ
旅館 たにがわは、谷川岳の四季折々の景観を満喫できる心安らぐ温泉旅館です。この旅館にて太宰治が『創世記』を執筆しました。
身も心も洗い流してくれるほどに澄んでいる水と空気、 手を伸ばすと届いてしまいそうな谷川連峰の眺めは、太宰治でなくとも文学的な想像をかき立てられる絶景ですよ。
谷川温泉は無色透明でありながら20種類以上の効能があり、 薬湯として古くから多くの方に愛されてきた自家源泉です。
上州牛や川魚など地元群馬の旬の食材を詰め込んだ創作料理や、ほっとする笑顔のおもてなしと大自然を堪能できる「旅館 たにがわ」で、日々の疲れを癒してみてはいかがでしょうか
文豪「島崎藤村」が愛した旅館① 福住楼
福住楼は明治23年(1890年)に創業されました。創業から1世紀を超えた貴重な京普請の数寄屋造りの建物は、全館『登録有形文化財』に指定されています。
福住楼で最も古い明治期建築で格式高い書院造りの部屋「松二」には、島崎藤村が宿泊しています。小説『春』の中に登場する部屋のモデルと言われており、この客室から見える千歳橋や早川などが描写されていますよ。
木造3階建て全17の客室はそれぞれ手の込んだ細工が施されており、ひとつとして同じ部屋が存在しません。藤村をはじめ福住楼を訪れた文豪たちは、お気に入りの部屋で長逗留を楽しんだと言われています。
木々を湯面に映す円形の浴槽・磨き込まれた廊下や装飾の数々など、館内の至るところにある歴史の息遣いを探してみるのもオススメですよ。
文豪「島崎藤村」が愛した旅館② 伊藤屋
明治21年(1888年)に湯河原温泉の中央、 万葉公園の入り口に創業された老舗旅館が伊藤屋です。島崎藤村が『夜明け前』の原案を練った宿でもあり、 彼の遺稿や愛用品は今も大切に遺されていますよ。
心づくしの笑顔で温かいおもてなしを続け、様々な歴史を見つめながらお客様を迎えてきた伊藤屋は『登録有形文化財』に指定されています。
旬の素材を活かした老舗のこだわり料理を月替わりでご堪能いただけます。湯河原ならではの素材一品一品に想いを込めてお届けしてくれますよ。
地元産の自然石を使った大浴場や貸切露天風呂などがあり、こんこんと湧く豊かな湯の泉に身も心もほぐれていきます。 長い歴史をもつ伊藤屋にて古き良き時代の懐かしさをお楽しみください。
まとめ
今回は「あの文豪たちが愛した旅館9選」を紹介させていただきました。
どの旅館も愛される特徴と魅力をたくさん有しており、気難しいイメージのある文豪すらも虜にする理由がよく分りましたね。
個人的にオススメする旅館は「湯本館」です。康成が『伊豆の踊子』を執筆していた場所なので、康成の見た景色と同じ景色を満喫してみて欲しいです。
是非あなたも興味が湧いた旅館を訪れて、文豪と同じ気持ちを感じてみてくださいね。