この記事は文豪「夏目漱石のゆかりの地を知りたい」方に向けて書かれています。
漱石は2020年現在の千円紙幣にも描かれ、吾輩は猫であるや坊っちゃんなど数多くの名著を残した漱石のゆかりの地の中から、東京のゆかりの地に絞って「漱石の作品に出てくるゆかりの地」を紹介します。
文豪の生涯の始まりと終わりに当たる「漱石の生誕地と没地」と、ゆかりの地までのアクセスについても紹介しますので、記事を参考にぜひゆかりの地に足を運んでみてください。
紹介する夏目漱石ゆかりの地8か所
この記事で紹介する東京にある夏目漱石のゆかりの地、8か所です。
- 夏目漱石 生誕の地(東京都新宿区)
- 夏目漱石旧居跡/猫の家(東京都新宿区)
- 相馬屋(東京都新宿区)
- 養源寺(東京都文京区)
- 毘沙門天 善国寺(東京都新宿区)
- 神楽坂(東京都新宿区)
- 漱石山房跡(東京都新宿区)
- 雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区)
紹介するゆかりの地は、生誕地と没地となった場所以外に、東京で漱石がよく足を運び慣れ親しんだ場所です。
漱石の作品の多くは実際にある場所を舞台に物語が進んでいきますので、漱石が作中で描いた場所に足を運ぶことで、作品を読む際によりイメージが浮かんでくるでしょう。
この記事を参考に、ぜひ漱石ゆかりの地に足を運んでみてください。
夏目漱石ゆかりの地1:漱石 生誕の地(東京新宿区)
漱石は1867年(慶応3年)、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生を受けました。
現在では漱石の生家は残っていませんが、1967年に漱石の生誕100周年記念として生家の跡地に「夏目漱石誕生之地」と刻まれた石碑が建てられました。
漱石生生誕の地は、東京メトロ東西線「早稲田駅」の西口から徒歩5分ほどの所で、漱石の父・直克が命名した夏目坂が登り始める辺りにあります。
- 住所:東京都新宿区喜久井町1
- 電話番号:03-3344-3160(新宿観光新興協会)
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:http://www.kanko-shinjuku.jp/(新宿観光新興協会)
夏目漱石ゆかりの地2:夏目漱石旧居跡/猫の家(東京都新宿区)
「猫の家」の名でも知られる漱石の住居の跡が「夏目漱石旧居跡」です。
漱石旧居跡には、かつてイギリスより帰国してから漱石が3年ほど住み、漱石の処女作「吾輩は猫である」の舞台ともなったことから「猫の家」とも呼ばれる住居がありました。
現在では愛知県犬山市の明治村に移築されているので、住居を明治村で見ることができます。夏目漱石旧居跡では、石碑を見ることができます。
漱石旧居跡へは、東京メトロ「本駒込駅」から徒歩で8分ほど、または東京メトロ「千駄木駅」から徒歩で10分ほどです。
- 住所:東京都文京区向丘2-20-7 日本医科大学同窓会館
- 電話番号:03-5803-1174(アカデミー推進課観光)
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:https://www.city.bunkyo.lg.jp/(文京区)
夏目漱石ゆかりの地3:相馬屋(東京都新宿区)
夏目漱石が、原稿用紙を買いにきていたのが、神楽坂通りに面している原稿用紙の老舗・相馬屋源四郎商店です。
元々紙漉き(すき)として初代が創業を始めた相馬屋は、やがて紙問屋として業態を変えていきますが、明治の中期に売り出された洋紙が漱石のお気に入りとなり、愛用され続けました。
相馬屋源四郎商店へのアクセスは都営大江戸線「牛込神楽坂駅」より徒歩3分ほどの所で、相馬屋ビルの1階になります。
- 住所:東京都新宿区神楽坂5-5
- 電話番号:03-3260-2345
- 営業時間:9:00~19:00
- 定休日:日、祝日
- 公式サイト:http://www.soumaya.co.jp/
夏目漱石ゆかりの地4:養源寺(東京都文京区)
漱石の名著「坊ちゃん」のラストシーンで登場する、清の墓所として知られるのが文京区にある養源寺です。
夏目漱石の旧友であった、米山保三郎の祖母・清が坊ちゃんの清のモデルとなっており、養源寺に米山家の墓所があります。夏目漱石は、養源寺をしばしば訪れていたそうです。
坊ちゃんの文中に「清の墓は小日向の養源寺にある」と一文がありますが、その一文の通り養源寺には実在した米山家の清と、坊ちゃんで登場するフィクションの清の墓もあります。
養源寺へは、東京メトロ南北線「本駒込駅」より徒歩約5分か、都バスの東43番線「本駒込3丁目」で下車し、徒歩約5分です。
- 住所:東京都文京区千駄木5丁目38-3
- 電話番号:03-3828-0185
- 営業時間:9:00~16:30
- 入館料金:拝観無料
- 公式サイト:https://www.yogenji.com/
夏目漱石ゆかりの地5:毘沙門天 善国寺(東京都新宿区)
坊ちゃんの中で縁日の賑わいが描かれている毘沙門天・善国寺は、江戸時代から続く厄除けや開運スポットとして、毘沙門さまの愛称で親しまれています。
毘沙門天・善国寺は徳川家の祈願所としても知られ、1792年に現在の場所に来てから始まった縁日は大変な賑わいで、その様子が漱石の坊ちゃんを始め、神楽坂一帯の歴史を伝える文献にも記されています。
夏目漱石の生家は、早稲田の夏目坂であり、神楽坂にはよく通っていたそうです。
毘沙門天・善国寺のへのアクセスは、都営大江戸線「牛込神楽坂駅」A3出口より徒歩約5分、JR「飯田橋駅」の西口より徒歩約7分です。
- 住所:東京都新宿区神楽坂5丁目36
- 電話番号:03-3269-0641
- 営業時間:常時
- 入館料金:参拝無料
- 公式サイト:なし
夏目漱石ゆかりの地6:神楽坂(東京都新宿区)
漱石が晩年散歩や買い物を行っていたのが神楽坂で、住居のあった弁天町(現早稲田南町)から伸びた神楽坂は漱石にとって利便性が良く、お気に入りの坂道でした。
神楽坂には坊ちゃんで縁日の賑わいが表現されている毘沙門天・善国寺や、用紙を買い求めた相馬屋もあります。
神楽坂は新宿区の大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂を指し、自動車の通行は片方一方通行で、午前と午後で進行方向が変わる全国でも珍しい坂です。
- 住所:大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂
- 電話番号:なし
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:なし
夏目漱石ゆかりの地7:漱石山房跡(東京都新宿区)
漱石が明治40年(1907年)から大正5年(1916年)に亡くなるまでの9年間を過ごしたのが、「漱石山房」と呼ばれる早稲田南町(旧:弁天町)にあった住居です。
漱石山房からは1907年に「虞美人草」、1908年に「三四郎」、1914年に「こころ」が生み出され、それらすべてが後の世に名作として読まれ続けています。
漱石山房は1916年に漱石の最後の住まいとなりますが、1945年の東京大空襲の際に焼失してしまい、跡地には漱石山房記念館が建ち、再現された漱石山房の書斎などを目にすることができます。
漱石山房跡へは、東京メトロ東西線「早稲田駅」1番出口から徒歩約10分、都営バス(白61番)「牛込保健センター前」で下車し徒歩約2分です。
- 住所:東京都新宿区早稲田南町7
- 電話番号:03-3205-0209(記念館)
- 営業時間:(4月~9月)8:00~19:00(10月~3月)8:00~18:00(記念館)
- 入館料金:大人:300円、小中学生:100円(記念館)
- 公式サイト:https://soseki-museum.jp/
夏目漱石ゆかりの地8:雑司ヶ谷霊園(東京豊島区)
豊島区にある雑司ヶ谷霊園は、1916年に死去した漱石が眠る墓がある場所です。
広大な霊園は漱石の弟子であった芥川龍之介も迷子になったという逸話がありますが、漱石だけでなく言語学者の「金田一京助」など著名人の墓も多く霊園のマップも配布されていますので、利用すると良いでしょう。
漱石の墓は周りの墓と比べひときわ大きく、墓石に漱石の戒名が刻まれています。
雑司ヶ谷霊園へは、都電荒川線「都電雑司ヶ谷駅」を降りてすぐですが、漱石の墓までは徒歩5分ほどです。
- 住所:東京都豊島区雑司が谷1丁目39-51番 種14号1側39
- 電話番号:なし
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:なし
まとめ
夏目漱石の東京のゆかりの地を紹介しましたが、生家や漱石が晩年過ごした住居はすでに失われ、跡地を残すのみとなっています。
東京の漱石のゆかりの地は、漱石が散歩や買い物で利用した神楽坂を中心にゆかりの地を回ると、毘沙門天・善国寺や用紙を買い求めた相馬屋、晩年の住居の漱石山房まで回ることができます。
ぜひ漱石と関わり合いのある東京のゆかりの地を回り、漱石の足跡を追いかけてみてください。