江戸幕府を開いたことから江戸のイメージが強い徳川家康ですが、実は静岡にはゆかりの地があります。
そのため、当記事では徳川家康にゆかりのある観光名所についてご紹介します。
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徳川家康と静岡の関係は?
三河国(現在の愛知県)で生まれた徳川家康は、幼年期・壮年期・晩年期を駿府(現在の静岡市街地)で過ごしていました。
駿府生活の始まりは、8歳のころ今川氏の人質として送られたことです。
壮年期・晩年期には駿府を拠点に定め、駿府城下町を徳川家康が作ったと言われています。
駿府城下町は現在の静岡市街地の原型ともいえ、今の「にぎわい」を生み出した要因の1つです。
その為、静岡駅には「竹千代像(竹千代は家康の幼名)」や「壮年期の家康像」が建てられています。
徳川家康が学問を学んだ静岡・清見寺を観光
清見寺は奈良時代に創建されたと言われており、足利尊氏や今川義元の帰依を受けて繁栄しました。
今川家の人質となっていた徳川家康は、この清見寺で学問を学びました。また、学びを受けていた「家康公手習いの間」は現在も残されています。
- 【名前】清見寺
- 【住所」静岡県静岡市清水区興津清見寺町418-1
- 【電話】054-369-0028
- 【拝観料】大人:300円、中高生:200円、小学生:100円
徳川家康が勝利祈願?静岡浅間神社を観光
静岡浅間神社は「神部神社」、「浅間神社」、「大歳御祖神社」3社の総称です。3社とも朝廷や武将から崇敬されており、徳川家康も勝利祈願として静岡浅間神社に参拝しました。
1582年には武田勝頼との戦いの際、勝利することが出来たら再建すると誓いを立て焼き払います。5年後、誓い通りに壮麗な社殿を再建しました。
- 【名前】静岡浅間神社
- 【住所】静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1
- 【電話】054-245-1820
- 【料金】一般:200円、小中学生:50円
観光しながら歴史を学ぶなら静岡市文化財資料館
徳川家康ゆかりの地を巡る際に、歴史を知っているとより観光が楽しめます。歴史について詳しく知りたいと思ったら、ぜひ静岡市文化財資料館に立ち寄りましょう。静岡浅間神社内にあります。
静岡浅間神社に関する資料を中心に、徳川家に関する貴重な資料も保管・展示されています。
- 【名前】静岡市文化財資料館
- 【住所】静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1
- 【電話】054-245-3500
徳川家康が静岡に築城した駿府城を観光
駿府城は1399年に今川泰範によって築城されました。その後、徳川家康が領有し近代城郭として天守が築造されます。
徳川家康が征夷大将軍を引退した後、この駿府城を居城に選びました。また「大御所」として実権を握っていた為、駿府は江戸をしのぐ政治・経済・文化の中心地となりました。
その後、息を引き取るまで暮らしており、徳川家康ゆかりの地巡りとしては外せない観光地です。
- 【名前】駿府城(駿府城公園)
- 【住所】静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1
- 【電話】054-221-1433
徳川家康が祀られている?久能山東照宮
徳川家康は晩年、「久能城は駿府城の本丸と思う」と述べ、久能山の重要性を説いていました。そして、死後は遺命によりこの地に埋葬されます。
その後、2代目将軍である秀忠の命により久能山東照宮が創建されました。
また最古の東照宮でもあり、日光東照宮の原型になったとも言われています。
- 【名前】久能山東照宮
- 【住所】静岡県静岡市駿河区根古屋390
- 【電話】054-237-2438
徳川家康最大の敗戦?静岡・三方ヶ原古戦場碑
三方ヶ原の戦いは1573年に、武田信玄と織田信長・徳川家康の間で行われた戦いです。
浜松城に籠城していた徳川家康は、武田信玄の誘いに応じ三方ヶ原で合間見えましたが、敗戦してしまいます。
三方ヶ原の戦いは徳川家康にとって最大の敗戦であり、その後家臣を大事にするようになるなど人間的に成長するきっかけになりました。徳川家康の分岐点とも言える三方ヶ原古戦場碑に行ってみてはいかがでしょうか。
- 【名前】三方ヶ原古戦場碑
- 【住所】静岡県浜松市北区根洗町
- 【電話】053-457-2021
徳川家康が身を隠した地・浜松八幡宮を観光
三方ヶ原の戦いで負けた徳川家康は、浜松八幡宮の楠の洞穴に潜み追撃の手から逃れました。この楠は今もご神木として残されており見ることが出来ます。
身を潜めていた際、このご神木より瑞雲が立ち昇り、神霊が白馬に跨った老翁の姿となって浜松城へ徳川家康を導いたことから「雲立楠」と称されています。
また徳川家康は、浜松八幡宮を鬼門鎮護・開運福・武運長久の神として信仰し、度々参拝をしていました。
- 【名前】浜松八幡宮
- 【住所】静岡県浜松市中区八幡町2
- 【電話】053-461-3429
徳川家康が改称した浜松城を観光
浜松城の前城は15世紀頃に築城された曳馬城であり、城主は分かっていません。
徳川家康は1570年に曳馬城へ入城し、浜松城と改称しました。また、前述した三方ヶ原の戦いで徳川家康が籠城していたお城が浜松城です。
約17年間、浜松城で過ごしておりその間には「姉川の合戦」や「三方ヶ原の戦い」、「小牧・長久手の戦い」など教科書にも載っている有名な戦いを経験しました。
- 【名前】浜松城
- 【住所】静岡県浜松市中区元城町100-2
- 【電話】053-453-3872
まとめ
江戸幕府を開いたことから江戸のイメージが強い徳川家康ですが、幼年期・壮年期・晩年期を静岡で過ごしていました。
「姉川の合戦」や「三方ヶ原の戦い」、「小牧・長久手の戦い」の際、拠点にしていた浜松城や息を引き取るまで暮らしていた駿府城など徳川家康の生涯を語るには欠かせないお城もあります。
静岡に観光に来た際には、徳川家康の生涯に想いを馳せながらゆかりの地を巡るのも楽しいですね。