【天才軍師】秀吉を支えた黒田官兵衛のゆかりの地6つを厳選紹介!!

今回の記事では、戦国時代の天才軍師黒田官兵衛ゆかりの地6つを紹介しています。

黒田官兵衛は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が最も頼りまた最も恐れ、「軍師の鏡」とも言われているんですよ。

今回はそんな黒田官兵衛の主な略歴やエピソードも合わせてゆかりの地を紹介していきますので、ぜひ最後まで目を通してください。

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黒田官兵衛の主な略歴

まず、「天才軍師」と称された黒田官兵衛の主な略歴から紹介します。

  • 1546年・・・姫路城に誕生する。黒田職隆(くろだもとたか)の嫡男。
  • 1561年・・・小寺政職の家臣となる。
  • 1567年・・・櫛橋伊定の娘、光(てる)と結婚。家督を相続し、播磨国姫路城主になる。
  • 1573年・・・秀吉の軍師として重用される。
  • 1582年・・・秀吉に毛利方の備中高松城の水攻めを提案。本能寺の変の後、秀吉に主君織田信長の仇明智光秀討ちを薦める。
  • 1583年・・・キリスト教徒になる。
  • 1588年・・・中津城を築城する。
  • 1602年・・・再建した大宰府天満宮に草庵(高潔な生活を志す者の脱俗的な住居のこと)を建てて、そこに住む。
  • 1604年・・・療養のために京都の伏見屋敷に移り住む。病に倒れ、享年59。

父親の黒田職隆は、播磨御着城主であった小寺政職の家臣でした。黒田職隆の子として生まれた黒田官兵衛は、1562年に起こった浦上宗景(うらがみむねかげ)との戦いが初陣となります。

この時黒田官兵衛は、まだ16歳でしたが、父親と参戦し見事勝利を収めます。この頃から、天才ぶりを周囲に見せていきました。

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黒田官兵衛はどんな人物?

姫路城で生まれた黒田官兵衛は、16歳で初陣を飾り、生涯で約50回の合戦で1度も負けることのなかった戦の天才です。

優れた知力と戦術によって敵対した赤松政秀や毛利勢からの攻撃も、少ない兵力で撃退し頭角を現しました。

しかし織田信長や豊臣秀吉といった実力者が現れると、敵の強さを冷静に評価し、無償で自分の居城である姫路城を提供する素直さ賢さを備えていました。

その後豊臣秀吉の家臣となり、豊臣秀吉の天下取りに大きく貢献をしていくのです。

黒田官兵衛のエピソード:秀吉に天下獲りを勧める

本能寺の変によって織田信長が死去し、その知らせに絶望する豊臣秀吉。黒田官兵衛は冷静にこの状況を分析し、信長の弔い合戦(謀反者明智光秀の討伐)を行うように促します。

この時に「殿、これで天下取りへの道が開けましたな」と秀吉に言葉を放ったと言われています。秀吉はこの言葉を聞いて、黒田官兵衛の凄味を感じると同時に、恐ろしさをも感じるようになったそうです。

結果的に、秀吉は明智光秀の討伐で功績をあげ、さらに、清洲会議で、官兵衛の助言通りに、三法師(織田信忠の嫡子)を信長の後継者に仕立てていきました。

この清洲会議で、秀吉はさらに社会的地位を強めていき、官兵衛は、秀吉を天下人まで押し上げたのです。

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黒田官兵衛ゆかりの地①有馬温泉

ここからは、黒田官兵衛ゆかりの地6つを紹介してきます。まずは、兵庫県にある「有馬温泉」です。

黒田官兵衛は、約1年捕虜となり牢屋に幽閉された時があるのですが、その時にできた傷を癒すために、「有馬温泉」で過ごしたと言われています。

有馬温泉は関西の「奥座敷」とも称される日本三古湯のひとつで、歴史のある温泉です。

「有馬温泉」の詳細情報
  • 住所:兵庫県神戸市北区有馬町
  • アクセス:三ノ宮駅からバスで30分
  • 電話番号:078-904-0708(有馬温泉観光総合案内所)
  • 公式サイト:http://www.arima-onsen.com/

黒田官兵衛ゆかりの地②姫路城

2つ目に紹介する黒田官兵衛ゆかりの地は、兵庫県にある「姫路城」です。秀吉の配下になることにした黒田官兵衛が、信長と秀吉に引き渡したと言われています。

日本で初の世界文化遺産に指定されたほか、国宝や重要文化財にも指定されているお城です。

「姫路城」の詳細情報
  • 住所:兵庫県姫路市本町68
  • アクセス:JR播但線京口駅よりタクシーで4分
  • 電話番号:079-285-1146
  • 営業時間:9:00~16:00(閉門は17:00まで)※夏季(4月27日〜8月31日)は9:00~17:00(閉門は18:00まで)
  • 定休日:12月29日・30日
  • 料金:大人1,000円、小・中学生・高校生300円
  • 関連サイト:https://www.city.himeji.lg.jp/castle/

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黒田官兵衛ゆかりの地③太宰府天満宮

3つ目に紹介する黒田官兵衛ゆかりの地は、福岡県にある「太宰府天満宮」です。

この天満宮は戦国時代の戦火で荒廃していましたが、黒田官兵衛はそれを憂いて再建を行いました。

そのため天満宮は黒田家に対する恩を思って、隣接してある宝物館が建設され黒田家の史料が数多く残されています。

「太宰府天満宮宝物館」の詳細情報
  • 住所:福岡県太宰府市宰府4-7-1
  • アクセス:西鉄太宰府駅から徒歩約5分
  • 電話番号:092-922-8225
  • 営業時間:9:00~16:30(入管は16:00)
  • 定休日:月曜日、祝日・振替休日の場合は開館
  • 料金:大人500円、大学生・高校生200円、小・中学生100円
  • 公式サイト:https://www.dazaifutenmangu.or.jp/

黒田官兵衛ゆかりの地④崇福寺

4つ目に紹介する黒田官兵衛ゆかりの地は、福岡県にある「崇福寺」です。

福岡藩主黒田家の菩提寺(「死後の冥福」を弔う寺院)である「崇福寺」には、黒田官兵衛や黒田長政など、歴代藩主の墓所があります。

黒田官兵衛のみならず、妻・光姫や次男・熊之助という歴史で多くは語られない官兵衛の家族の墓もありますよ。

「崇福寺」の詳細情報
  • 住所:福岡市博多区千代4-7-79
  • アクセス:博多駅から徒歩で10分
  • 電話番号:092-711-4666(福岡市経済観光文化局)
  • 営業時間:10:00〜16:00(墓所の開園時間)
  • 定休日:毎週土曜日、日曜日及び休日(ただし12/29~1/3(年末年始)を除く
  • 料金:無料
  • 関連サイト:http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/

黒田官兵衛ゆかりの地⑤合元寺

5つ目に紹介する黒田官兵衛ゆかりの地は大分県にある「合元寺」です。

秀吉が九州平定する際に、豊前国(現在の大分県)は400年にわたって宇都宮一族が支配していましたが、宇都宮一族は秀吉側の黒田官兵衛による平定に対抗します。

戦いを繰り広げる中で、兵士たちの返り血が「合元寺」の壁いっぱいに浴びたという伝説が残っています。そのため、全て壁を赤塗りにしたそうですよ。

「合元寺」の詳細情報
  • 住所:大分県中津市寺町973
  • アクセス:JR「中津駅」から徒歩7分
  • 電話番号:0979-22-203
  • 営業時間:10:00〜18:00
  • 定休日:無休
  • 料金:無料
  • 関連サイト:https://www.city-nakatsu.jp/doc/2011100100048/

黒田官兵衛ゆかりの地⑥黒田官兵衛資料館

最後に紹介する黒田官兵衛ゆかりの地は、大分県にある「黒田官兵衛資料館」です。

「黒田官兵衛資料館」は、中津城天守閣の近くに2013年に開館しました。

黒田官兵衛が使用したとされるかぶと「如水の赤合子」のレプリカや、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」で実際に使用された小道具、ドラマを紹介するパネルなども展示されていますよ。

「黒田官兵衛資料館」の詳細情報

まとめ

今回の記事では、天才軍師との呼び名の高い黒田官兵衛ゆかりの地6つを厳選して紹介しました。

黒田官兵衛は、秀吉が凄さと恐ろしさを感じるほどの天才だったと言われる知将でしたね。

ゆかりの地だけでなく、黒田官兵衛の人物像や主なエピソードを知ると、よりゆかりの地を訪れた際に楽しむことができるに違いありません。

今回の記事を通して、少しでも黒田官兵衛に興味を持ってもらえたら幸いです。最後までみていただきありがとうございました。

ABOUTこの記事をかいた人

ひろき

作業療法士として、発達障がい児に対する療育を仕事にしています。調査データや研究結果を引用して、できるだけ根拠に基づく記事執筆をモットーにしています。客観性を大切にしつつ、読者に寄り添った記事を書くように心がけています。