この記事は「織田信長ゆかりの地を知りたい」方に向け、「信長とゆかりのある場所や施設を紹介」しています。
戦国の武将の中でも信長のファンは多く、居城のあった現在の愛知県を始め周辺の府県に多くの足跡を残しました。
信長の足跡がゆかりの地として、現在でも訪れることができる場所の中から、特に歴史的に重要な場所を時系列に8か所選んで紹介します。
「信長ゆかりの地の周辺環境」や「ゆかりの地までのアクセス」も紹介していますので、ぜひこの記事を信長のゆかりの地へ訪問する際の参考にしてください。
【時系列順】紹介する織田信長ゆかりの地8か所
織田信長の生涯に沿って、時系列にゆかりの地を8か所紹介していきます。
- 清州城(愛知県清須市)
- 桶狭間古戦場跡(愛知県名古屋市)
- 手力雄神社(岐阜県)
- 岐阜城(岐阜県岐阜市)
- 岐阜公園(岐阜県岐阜市)
- 安土城跡(滋賀県近江八幡市)
- 比叡山延暦寺(滋賀県大津市)
- 本能寺(京都府京都市)
時系列に紹介する信長ゆかりの地は3県1府に及び、気になるスポットだけ見るのも良し、全て見て回るのも良しです。
全て見て回る場合は、愛知県から始まり隣接する府県に移動していくように順序立てしてあり、信長の生涯の出来事に沿ってスムーズに回ることができますので、ゆかりの地と合わせて参考にしてみてください。
織田信長のゆかりの地1:清州城(愛知県)
清州城は信長が天下統一に向けて動き出した出発点で、愛知県清須市のJR清洲駅から徒歩15分ほどの所にあります。
信長は、1555年から1563年までの8年間、清州城に住んでいたとされています。今川義元を打ち取った1560年「桶狭間の戦い」は、清州城から出陣したようです。
元は清須城と呼ばれていましたが、現在の城郭は「清州城」として平成元年(1989年)に再建整備されました。
天守閣は常設展示場となっており、清州城の歴史や信長を中心に秀吉、家康と城の関わりなどが紹介されています。
清州城周辺には桜の名所として知られる公園があり、毎年多くの花見客でにぎわっています。
- 住所:愛知県清須市朝日城屋敷1-1
- 電話番号:052-409-7330
- 営業時間:9:00~16:30
- 入館料金:無料 天守閣の歴史資料館は 大人300円、子供150円
- 公式サイト:https://www.city.kiyosu.aichi.jp/
織田信長のゆかりの地2:桶狭間古戦場公園(愛知県)
桶狭間古戦場公園は、1560年に信長が今川義元を討ち取った「桶狭間の合戦」の中心地とされる場所に整備された公園です。
公園のある辺りが今川義元が討ち取られた場所とされ、公園の中央には信長と今川義元の銅像があるほか、今川義元の墓碑もあります。
桶狭間古戦場公園へのアクセスは、名鉄「有松」駅で下車し、徒歩約3分ほどの所にある名古屋市バス停留所「有松小学校前」より「幕山(桶狭間古戦場公園)」で下車です。
- 住所:愛知県豊明市栄町南舘11
- 電話番号:0562-92-8317
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:なし
織田信長のゆかりの地3:手力雄神社(岐阜県)
手力雄(てぢからお)神社は、岐阜県各務原市にある信長が手厚く保護した神社で、信長の伝承も残されています。
1567年の稲葉城(現岐阜城)攻略の際に手力雄神社を焼き払おうとしたところ、体の自由を奪われて落馬した信長は「神罰だ」と畏れ、自分の行いを顧みて改めるとともに、稲葉城攻略の祈願を行いました。
祈願するとたちまち体の自由が戻り、稲葉城も攻め落とすことができたので、信長は戦の勝利のお礼として、社殿の修復や周辺の広大な土地を神社に寄贈したほか、神社内での伐採や騒乱などを強く禁止しました。
手力雄神社へは、各務原駅より岐阜バスコミュニティの岐阜各務原線に乗車、「手力雄神社前」バス停で下車するとよいでしょう。
- 住所:岐阜県各務原市那加手力町4
- 電話番号:058-382-3383
- 営業時間:9:30~16:00
- 入館料金:参拝無料
- 公式サイト:https://www.tezikarao.org/
織田信長のゆかりの地4:岐阜城(岐阜県)
岐阜城は1567年に織田信長が「天下布武」を唱え天下統一への本拠地とした場所で、岐阜県岐阜市にある金華山の山頂にあります。
金華山の山頂にある岐阜城は標高約330メートルに位置するので、天守閣からの眺望は遮るものがなく、眼下に濃尾平野や長良川などを一望できるインスタ映えするスポットです。
金華山の山頂へは車で行くことができません。アクセスは岐阜公園内「金華山ロープウェイ(料金以下に記載)」を利用するか、コースにより40分~60分ほどの登山道を歩いていきましょう。
- 住所:岐阜県岐阜市金華山18(金華山)
- 電話番号:058-263-4853
- 営業時間:9:30~17:30
- 入館料金:16歳以上 200円、16歳未満 100円
- 金華山ロープウェイ料金: 大人 往復:1,100円、片道:630円、 子供 往復:550円、片道 300円)
- 公式サイト:https://www.city.gifu.lg.jp/(岐阜市公式サイト)
織田信長のゆかりの地5:岐阜公園・信長居館跡(岐阜県)
信長が、稲葉城を岐阜城に改名した1567年から居住していたのが金華山の麓の信長居館です。現在の岐阜公園に居館跡地が残されています。
信長居館は発掘調査の結果、斎藤道三の時代に建設された館を信長が大改修を行い、関ケ原の合戦直前まで館を使っていたことが分かってきました。
岐阜公園内の「信長居館発掘調査案内所」にて、発掘の成果や館の復元予想図などの資料を見ることができます。
岐阜公園へは、JR岐阜駅より岐阜バス岐阜公園、長良橋・高富方面行きのバスに乗車、「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車、徒歩約5分です。
- 住所:岐阜県岐阜市大宮町1丁目
- 電話番号:058-214-2182
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:https://www.city.gifu.lg.jp/(岐阜市公式サイト)
織田信長のゆかりの地6:比叡山延暦寺(滋賀県)
滋賀県大津市にある比叡山延暦寺は、織田信長が1571年に焼き討ちを行ったことで有名な寺です。
福井県の一乗谷の朝倉氏攻略の最中に同盟関係であった浅井氏が信長を裏切り、朝倉・浅井氏の軍に挟み撃ちとなった信長は命からがら京に逃げ延びます。
信長は再起を果たし浅井氏討伐を進めますが、敵対する朝倉・浅井氏の兵をかくまい、信長の意に耳を貸さない比叡山延暦寺を焼き払いました。
比叡山延暦寺へは、JR湖西線「比叡山坂本駅」からバスで「ケーブル坂本駅」で下車(約4分)し、ケーブルカーに乗り換えて約10分です。
- 住所:滋賀県大津市坂本本町4220
- 電話番号:077-578-0001(代表)
- 営業時間:3月~11月: 8:30~16:30、12月: 9:00~16:00、1月・2月: 9:00~16:30
- 入館料金:延暦寺諸堂拝観(大人)1,000円(中高生)600円(小学生)300円
- 公式サイト:https://www.hieizan.or.jp/
織田信長のゆかりの地7:安土城跡(滋賀県)
安土城は信長が3年もの歳月を費やして建築された5重7層の造りの豪華な城で、日本100名城の1つにも選ばれています。
当時の日本で最高の芸術と技術を集めて1579年に築城された安土城は、後の天主の建築に強い影響を与えたとされ、歴史に名を残す重要な城です。
安土城は信長が生涯を閉じることとなった1582年本能寺の変の後焼失してしまい、現在では石垣や礎石、堀が残っています。
安土城跡へはJR琵琶湖線 「安土駅」 から 徒歩約 25分か、車で名神竜王ICから約20分となっています。
- 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
- 電話番号:0748-46-6594(安土山保勝会)
- 営業時間:8:30~16:00(季節などにより変動あり)
- 入館料金:大人 700円、小人 200円(入山料)
- 公式サイト:https://www.azuchi-nobunaga.com/
織田信長のゆかりの地8:本能寺跡(京都府)
京都府京都市にあった本能寺は、1582年に信長が家臣の明智光秀の謀反(むほん)に遭い、生涯を閉じることになった信長最後の場所です。
現在京都市にある本能寺は移転されており、当時の本能寺があった場所は跡地として石碑があるだけになっています。
当時の本能寺は広大な敷地と、周囲を高い塀と深い堀に囲まれた高い安全性があり、当時の日本で最も偉かったとされる日承上人がいたため、信長は仏教を学ぶために何度も滞在していました。
本能寺跡へのアクセスは、阪急京都線「大宮駅」から徒歩約10分です。
- 住所:京都府京都市中京区元本能寺南町
- 電話番号:075-812-0061(中京区役所:代表)
- 営業時間:常時
- 入館料金:無料
- 公式サイト:https://www.city.kyoto.lg.jp/nakagyo/(中京区役所)
まとめ
織田信長の生涯に沿ってゆかりの地を紹介しましたが、中でも信長が天下統一の本拠地とした「岐阜城」や、日本の戦国史が動いた「桶狭間合戦場伝説地」は信長にとって特に重要なゆかりの地です。
当時の様子を知れるゆかりの地で史跡や資料を実際に見ることで、信長がどのような生涯を送ったのかを伺い知ることができます。
信長ゆかりの地を訪れることでより信長を知ることにもつながるので、ぜひ信長ゆかりの地に足を運んでみてください。